■生産者のご紹介
当店の安納芋の生産者、深田安信さん。 深田さんの安納芋はどれも身がしまって、蜜の量もスゴイんです!土から掘り出した時点で芋から蜜があふれ出ているのがわかります。 安納芋は一つのツルから収穫できる量が少なく、さらに栽培が難しいことで農家泣かせの作物とも言われています。 安納芋の苗は種子島だけに限定許諾されています。種子島でしか手に入れられないバイオ苗から、すべての安納芋を深田さんは栽培しています。 長年作り続けてきたからこそわかる安納芋栽培のノウハウを十分に使って、お客様に喜んでいただければと、毎日汗だくになりながら作業してくれています。 お客様の喜びの声を頂いたときが深田さんの一番うれしい時だそうです。 リピーター様の声はいつも届けさせていただいてます! |
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■安納芋の作られる種子島
種子島のすぐ隣、約15キロメートルほど離れたところには、世界遺産にも認定され縄文杉が世界的に有名な屋久島もあります。 島全体が平坦であり、標高差がほとんどないことは種子島の大きな特徴です。 春ウコンやガジュツも、安納芋同様、ずっと昔から栽培が続けられてきています。日本一早い収穫のお茶やお米、安納芋・紫芋・サトウキビ・ウコン・マンゴー・パッションフルーツなど、数えればキリがないほどに数多くの農作物が作られています。 最近では安納芋の知名度が上がるにつれて、種子島以外で栽培された安納芋のソックリさんが出回っているようですが、種子島産の上質の甘みと、しっとりとやわらかな食感は他の地区での栽培ではマネできないでしょう。 温暖な南国の太陽と海からの豊富なミネラル分が平坦な島全体に潮風で運ばれ続けられることから、農業に適した島で有るといえるでしょう。 何百年も育み続けたミネラル分が含まれた肥沃な土地の種子島で栽培されているのが安納芋なのです。 |
■サツマイモのルーツ
安納芋は種子島の安納地区で昔から自家用として栽培されて生まれたサツマイモの在来種「安納いも」から選ばれて登録されたものです。 歴史上のサツマイモの栽培で有名な人物といえば青木昆陽(あおきこんよう)※@が有名です。甘藷(かんしょ)先生とご存知の方も多いとおもいます。 しかし、実は青木昆陽が生まれた年に栽培の成功していた島があるのです。 それが、安納芋の生まれた「種子島」なのです。 |
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元禄11年(1698年)に第19代島主・種子島久基(栖林公)が、琉球で栽培されている甘藷のうわさを耳にし、琉球国王・尚貞(第2尚氏王統11 代)に、島の貧しい人々の救荒作物として甘藷(かんしょ)※Aを送ってほしいとお願いしました。 琉球国王は快くその願いを聞き入れ、甘藷を種子島久基は一篭貰い受けました。 島の貧しい人々の救済事業として、久基公は家老の西村時乗に領地の農民の中から有能な者を選び、甘藷を急ぎ栽培するようにと命じました。 島主の命をうけた西村は、信頼していた農民の休左衛門に甘藷の試植を命じたのです。休左衛門は、琉球から送られた種いもを地中に埋めてみたり、いもづるを地中にさしてみたりと試行錯誤の末に種子島での甘藷の栽培に初めて成功しました。※B 以来、種子島では、主食作物としてとして栽培されるようになります。 その後、薩摩藩(鹿児島)を通じて九州に持ち込まれ八代将軍、徳川吉宗の命を受けた青木昆陽がサツマイモの栽培に成功し全国的に普及していく事となりました。 甘藷が中国から琉球に伝わり、琉球を経て種子島にもたらされたということで、甘藷のことを薩摩藩(鹿児島)では「からいも」と今でもよばれています。その当時、中国のことを「唐からの国」と呼んでいたからです。 種子島の西之表市では、現在も大瀬休左衛門の子孫にあたる大瀬家の方が、11月の「さつまいもフェスタ」の時に西之表市市長へその年に収穫したサツマイモを献上されるそうです。 |
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※@青木昆陽(あおきこんよう) |
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※A甘藷(かんしょ)とは、さつまいも・琉球芋・唐芋(からいも)・あかいもの事です。 |
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※B日本甘藷栽培初地之碑 |
日本最初の甘藷栽培を記念して建立されました。 |